フィリップ殿下薨去 - Forth Bridge is Down -
エリザベス女王の王配でエディンバラ公爵のフィリップ殿下が薨去したことが英国時間正午ごろに発表された。享年99歳。同日朝に滞在していたウィンザー城で穏やかに息を引き取ったとのこと(His Royal Highness passed away peacefully this morning at Windsor Castle)。
BBCと民放各局は一斉に緊急特番に切り替え薨去を伝えるとともに、王配の生涯を振り返る記録映像を放映している。アナウンサーや一部のココメンテーターは既に喪服に着替えて放送を行っている。また12時半ごろにはこちらも喪服に身を包んだボリス・ジョンソン首相が首相官邸の前から追悼メッセージを発表した。
王配は2月に心臓関連の既往症と感染症の治療のため入院、約1か月の治療を終え先月退院したばかりだった。なお死因については現時点では発表されていない。

(The British Monarchy:英国王室公式サイト)
※記事タイトルにある" Forth Bridge is Down "とはフィリップ王配が死亡した際に政府やメディアで用いられる暗号コード。王室の主要人物には同様の暗号コードが定められており、エリザベス女王が崩御した際は" London Bridge is Down "となる。
【オークション】スティーブ・ジョブスの手書きの求職申込書
アンティークではありませんが、アップル創業者のスティーブ・ジョブスが大学中退後の1973年に作成したと思われる求職申込書(Job Application Form)が英国でオークションにかけられます。

すんごくシンプルな内容なうえ折り目やシミにセロテープとちょっとバッチい感じですが、英国時間18日正午時点ですでに£19,000(約300万円弱)のビッドが入っています。この金額でもあらかじめ設定されている最低落札金額には到達していないようです。
スティーブ・ジョブスは大学中退後、1974年からアタリ社で働き始め、1976年にはアップル社を創業します。この書類がアタリ社に提出されたものなのかどうかは分かりませんが、スティーブ・ジョブスの求職申込書はそうそう数があるとは思えません。更に手書きともなれば彼を神か預言者のように崇める一部のアップル信者や、コレクターにとっては垂涎の一品なのかもしれませんね。
オークションは3月24日、英国標準時16時(日本時間午前1時)に開催されます。出品されるのはこの一つだけです。
【オークション】チャーチルのグラス他
前回の記事で取り上げたアンティークのブーツスクレイパーとウィンストン・チャーチル首相のブランデーグラスのオークションがBellmansで開催されました。
上のブーツスクレイパーは£120(約1万8千円)、下の物は£80(約1万2千円)でそれぞれ落札され、概ねオークションハウスの想定価格の範囲内に収まりました。購入した人はこのハンマープライスに加え22%の手数料(Buyer’s Premium)と付加価値税を支払います。自分で商品を取りにいかない場合は配送業者への支払いも必要です。
一方でウィンストン・チャーチルのブランデーグラスは想定価格を大幅に超え、なんと£15,000(約220万円)もの価格が付きました。どんな人が買ったんだろうか…。
18日木曜日には先日の記事で紹介した故ダイアナ元王太子妃の手紙がDavid Lay Auctionsでオークションにかけられます。
メーガン・サセックス公爵夫人(日本のニュースでは主にメーガン”妃”(Princess)という称号をよく見かけますが、こちらのニュースでは"公爵夫人"(Ducchess)と表現することが主流です。)のインタビューが世界の耳目を騒がしている中での開催だけに注目度はより高くなったかもしれません。Yahoo!ニュースのコメント欄を見てみると日本は概ねメーガン公爵夫人に批判的な意見が多いようですが、一方で主にアメリカの一部セレブ達からは肯定的な意見が見られたりと色々な捉え方があるようです。個人的な意見を言うつもりはありませんが、妻のママ友のコメントが端的に英国人の考えを表しているのかなと感じられたので最後に紹介します。「私は王室に興味はないのだけれど、女王陛下は本当に気の毒だと思うわ。」だそうです。彼女はパキスタン系スコットランド人のイスラム教徒なので伝統的な英国人ではありませんが、ある意味近現代の英国の歴史を体現するような出自です。
【ナニコレ?】ブーツスクレイパー


これ何かわかりますか?ロンドンのみならず英国には18~20世紀初頭に建てられた建物がかなり残っており、今でもそうした古い建物の玄関先でしばしば目にすることが出来ます。道路に面した場所に犬を繋ぐわけでもなし、馬を繋ぐにしては心もとない作り。一体全体何だろうと思いを巡らすこと1年超、少し前にようやく何かわかりました。
正解はブーツスクレイパー(Boot Scraper)と言い、建物に入る前に靴にこびり付いた泥をこそげ取る道具です。自動車が普及する前の19世紀以前、大きな道路は主に砂利を圧し固めたもので、そこを当時の自動車であった馬が行き来していました。自動車は排気ガスを排出しますが、馬は気体ではなく「固体」を排出します。騎馬警官の馬が排出したものを現代のロンドンでもお目にかかることが出来ますが、19世紀以前はそこかしこで目にすることができたことでしょう。そこに雨が降ると・・・。こうして靴にこびり付いた泥諸々を、建物に入る前にこそげ落とすために使われました。土足で家に上がる西洋では少しでも屋内を汚さないようにするための工夫だったのでしょう。
大抵の場合鋳鉄製で黒い塗装を施したものが多いようです。玄関前の石畳に埋め込んだものや、玄関脇の壁に穴をあけてそこにはめ込んだタイプもよく目にします。他にも移動可能な据え置き型の物もあるようです。アンティークオークションでも目にすることがあまりない珍品ですが、今回中堅どころのBellmansに2つ出品されています。
恐らくは据え置き型のものではなく、玄関前に埋め込まれていたものを敷石ごと切り出してきた物のよう。タウンハウスの建て替えか何かで出回ったのかもしれません。予想価格が£80-120(約15,000円前後)って結構いい値段…。実に色々なデザインがあり、街歩きをする時には必ず探して周るお気に入りですが、妻の理解は得られなさそう。




今回のBellmansのオークションでは他にもウィンストン・チャーチル元英首相のブランデーグラスが出品されます。先日女優のアンジェリーナ・ジョリーが所有していたチャーチルが描いた絵画がChristie'sに出品され、12億円を超える金額で落札されました。1960年代のグラスとのことでアンティークではなくビンテージの扱いになる品ですが、その由来からグラス1つとしては破格のビッドがすでに入っています。予想落札価格は£7,000~10,000(約100~150万円)。
ダイアナ元妃の手紙がオークションに
あまりアンティークや美術品に興味のない方でも、クリスティーズやサザビーズといったオークションハウスはニュースなどで耳にされたことがあろうかと思う。英国ではアンティークや美術品の売買が非常に活発で、オークションハウスが数えきれないほどあり、ほぼ毎日のように英国のどこかしらでオークションが開催されている。高額で著名な画家の絵画や、歴史的に重要なアンティークであったり、著名人の使用していたプレミアムの付く商品などを中心に扱うクリスティーズやサザビーズ、ボナムスといったトップティアのオークションハウスから、段ボールに放り込まれて一山いくらといったガラクタを出品する庶民的なオークションハウスまで非常にバラエティーが豊かだ。
日本語のニュースにもなっていたが、ダイアナ元王太子妃の手紙が中堅どころのオークションハウス、David Lay Auctionsに出品されることが発表された。
私的な手紙が自分の死後公衆の目にさらされるなぞまっぴらごめんだが、この辺りは日本人と感覚が違うのかもしれない。ダイアナ元王太子妃の手紙がオークションにかけられるのはこれが初めてではなく、過去のオークションではかなりの金額で落札されている。そう言えば以前ジョージアン(約200年前)に作成されたセクレタリーブックーケースをオークションで落札したことがあり、その引き出しの後ろから元の持ち主に当てたであろう、1927年のスイスの消印が押された絵葉書が出てきてまだとってある。この葉書もオークションに出したら多少は値が付くのかしら?

英国のオークションに日本から参加することは不可能ではない。オークションはロックダウンもあり今は原則オンライン形式のみ。落札後は銀行振込かクレジットカード、ないしデビットカードで支払いを行う。(オークションハウスによっては海外のクレジットカードに制限を設けていることがある。また銀行振込は日本から送金すると海外送金手数料を取られる。英国国内の銀行は基本的に英国内に居住していないと開設が難しい。)最大のハードルは商品の取り寄せで、ごく一部のオークションハウスは自前で配送をアレンジしてくれるが、ほとんどの場合自分で運送業者に連絡を取って配送をアレンジしないといけない。海外発送を手配してくれる業者を探し、オークションハウスからの回収と梱包、海外発送を依頼する。日本に向けて家具を発送したことがないのでどのくらい費用が掛かるかわからずその金額次第だが、おそらくアンティーク家具なんかは日本のアンティークショップで買うよりも安いと思いますよ。
ダイアナ元王太子妃の手紙は3月18・19日のオークションに出品されます。出品カタログが出るのはもう少し先のようですね。
ロックダウン規制緩和ロードマップ・フィリップ殿下入院
本日ボリス・ジョンソン首相が議会でロックダウン規制緩和に関するロードマップを発表した。まだ道のりは短くはないが、12月頃から漸次施行されたロックダウンの出口が見えてきた。
- 3月8日:全ての学校が再開される。
- 3月29日:屋外での交流が再開される。ただし最大6人まで、かつ住居を異にする2家族まで。
- 4月12日:全ての必要不可欠でない店舗の営業が再開される。ただしレストランやパブのテーブルサービスは屋外に限られ、6人/2家族ルールが適用される。
- 5月17日:屋外では最大30人までの交流が再開される。6人/2家族ルールを適用の上、屋内での交流が再開される。宿泊施設、美術館、映画館といった施設の営業が再開される。
- 6月21日:全ての法的規制が解除される。
なお4月以降のスケジュールについては"Not Early Than"となっており、感染状況によっては後ずれする可能性がある。
ようやくトンネルの出口の光が見えてきた程度かもしれないが、具体的な日程が提示されたことは大きな一歩と言えよう。ただでさえ日照時間が短く天気も良くない冬の間、屋外でのエクササイズ以外に楽しみのなかった英国人にとっては大きな前進だ。子供が学校に行ってくれるのも大きな負担減となろう。春の訪れとともに精神的にも明るくなりそうだ。
ところでエリザベス女王の配偶者であるエディンバラ公フィリップ殿下が今月16日から入院している。コロナウィルスに関連するものではなく、体調不良を感じた(feeling unwell)ため予防的措置(precautionary measure)として入院したものだそう。
近年のお姿は大変失礼ながら悪の組織の黒幕のような凄みのある風貌だが、若いころはスラリとした長身のイケメン貴族。まだ十代前半だったエリザベス女王のハートを射止めたのもうなずける。フィリップ王配の経歴は非常に興味深く、元はデンマーク王家の流れをくむギリシャ王家の親族として生まれたものの、わずか1歳の時にクーデターが発生。英国の助けでなんとかギリシャを脱出し、その後はフランス、英国、ドイツ、再び英国と欧州各国を転々とする。十代後半で英国海軍に入隊し第二次世界大戦に従軍、終戦2年後にまだ王女であったエリザベス女王と結婚した。しかしドイツ王家の血も引くことが災いし、4代前のヴィクトリア女王の王配アルバート公と異なり共同統治権は付与されず、このことが少なからずその後のエディンバラ公の言動や夫婦関係に影響を与えたようだ。もともと英国の王室は18世紀のジョージ1世から現在に至るまでドイツ系の家系であり、ヴィクトリア女王もその子孫なら、配偶者のアルバート公も元はザクセン公でれっきとしたドイツ系。終戦直後とはいえ色々と思うところがあったのだろう。
よく言えばワイルド、悪く言えば粗野な言動が多く、数々の刺激的な発言で物議をかもすこと多数、近年もつい2年前に自ら運転する車で事故を起こし、派手にレンジローバーを横転させ耳目を騒がせた。こうした言動はこの世代の貴族階級では珍しいことではないようで、例えば先代のスペイン王カルロス一世は欧州危機でスペインが経済難にあえぐ中、アフリカで象狩りを敢行し大きな非難を浴びた。ハンティングは欧州貴族の伝統的なたしなみである。
御年99歳、一日も早い回復を祈ります。
ロックダウン解除に向けて・寒波襲来
イングランドはロックダウン解除に向けて徐々に歩みを進めつつある。一時は一度目のロックダウンを上回る死者数を記録していたが、ここ数週間ほどは落ち着き始め、7日間平均での1日あたり死者数は700人弱、新規感染者は13千人程度まで減少し、ロックダウンの効果が目に見えるようになってきた。(日本の方は卒倒するような数字かもしれませんが、一時は日次で新規感染者6万人超え、死者12~14百人とかだったのですごく減ったんですよ、これでも。)ワクチン接種も1度目の接種を受けた人数は15百万人を超え、実に国民の4分の1近くが1度目の接種を受けたことになる。今月22日にはロックダウンの規制解除の行程表がボリス・ジョンソン首相から発表される見込みで、少なくとも3月8日から学校が再開される見込みのようだ。
年初からイングランドの学校は原則オンライン授業に切り替わり、現地の公立校に通う6歳児君もパソコンを前に授業を受けてきた。幸いにしてかなり広めのマンションをに住むことが出来、ロックダウンで在宅時間が圧倒的に長い中では非常に助かっている。しかしさすがにデスクが全ての部屋にあるわけではなく、6歳児君はダイニングテーブルで授業を受け、私はすぐ隣のデスクで仕事をしている。大抵はチャットやメールでコミュニケーションが取れるのだが、時折現地スタッフと英語で電話することがあり、その時に子供が英語で話していると英語があまり得意ではない私の脳みそはたちどころにキャパシティを超え、何を話していたのか全く分からなくなってしまう。先日は数字の絡む電話をしていた際に子供が大声で数字を数え始め、完全に思考が停止してしまい一瞬殺意を覚えた。
とは言え我が家はまだましな方だ。妻のママ友のチャットルームには毎日のようにオンライン授業絡みで悲鳴や文句を見ることが出来る。そもそも例えば共働きで、就学年齢の子供が二人いる家庭だと4台のパソコンが必要だ。業務用のパソコンは会社から支給されるケースもあるかもしれないが、子供の学年が違えばその分だけ購入する必要がある。低学年だと余り放任も出来ない。子だくさんの家庭はいったいどうやって乗り切っているのだろうか…。

この1週間ロンドンは異常に寒かった。週初には雪がちらつき、連日最低気温は氷点下5度前後、最高気温もせいぜい0度を上回るかどうかといったところで、買い物から帰ってきた妻は毎回唇が紫色になっていた。マンションの中庭にある噴水も凍り付き、緯度の割には比較的暖かいロンドンとは思えないような景色が見られた。来週からは気温が上昇する見込で少しは過ごしやすくなるようだ。おでんと温泉が恋しい…。
キャプテン・サー・トム逝去
キャプテン・サー・トム(Captain Sir Tom)がコロナウィルスにより亡くなった。享年100歳。

日本ではあまり知られていないかもしれないが、キャプテン・トムは1回目のロックダウンの最中、100歳の誕生日を目前に、歩行器の助けを借りながら自宅の裏庭を歩く姿を配信し、NHS(Nationa Healthcare Service:英国国民保健当サービス)への募金を募った。当初の目標額は1,000ポンド(約14万円)だったが、英国人はよぼよぼのおじいちゃんが必死に歩く姿に心を打たれたらしい。最終的に実に150万人以上から寄付を集め、その総額は32百万ポンド(約45億円)にも登った。昨年5月にはその功績を称え、エリザベス女王からナイトに叙されサーの称号を得、以降はキャプテン・”サー”・トムと呼ばれるようになった。

キャプテン・サー・トムがこのチャレンジをした昨年4月頃は未知のウィルスに対する恐怖に世界中が包まれている最中だった。キャプテン・サー・トムの行動は多くの英国人に勇気を与えたばかりでなく、世界的に医療従事者の防護具が不足、高騰する中でNHSにとって大きな助けとなったことだろう。その彼がコロナウィルスによって命を落としてしまったことは残念でならない。心よりご冥福をお祈りします。



